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アメリカ留学体験談「1度会えば、必ずまた会いたくなる人材です」と言い切りました|海外で学ぼう!留学やワーキングホリデーのご相談は【成功する留学|地球の歩き方】

「1度会えば、必ずまた会いたくなる人材です」と言い切りました
性別
男性
年齢
27歳
職業
会社員
国・都市
U.S.A., San Diego
学校名
San Diego State University
受講コース
Business Management
期間
2003年9月〜2010年12月
留学時の職業
高校生
  • 高校生
  • 大学生
  • 長期

アメリカのハイスクールへ短期留学のつもりが、その後、ユタ・バレー大学を経てカリフォルニア州立大学に編入。更にサンディエゴ州立大学へ再編入し、ビジネス経営専攻で学位取得。サンディエゴ州立大学在学中にはニューヨーク3指に入る大手モデルエージェーンシーでブッキングアシスタントとしてインターンを経験。卒業後にニューヨークに渡り、アメリカンカジュアルブランドTommy Hilfigerのニューヨーク旗艦店に勤務。2ヵ月で売上No.1という偉業を成し、5th avenueで「入社2ヵ月で売り上げトップを成し遂げた日本人」という評判が広まる。その後、ドルチェ&ガッバーナへ。「D&Gショップの日本人店員」は口コミで広がり、写真を撮りにショップを訪れる人もいるそうだ。

自分からしたいと言った

高3の頃、留学されましたね。きっかけは?

日本の高校では成績もダメだったし、毎日の学校も遅刻、居眠り、早退当たり前のグータラ生活で、唯一サーフィンだけにエネルギーを注いでいたような状態だったんです。いつの日か「このままじゃ……」って漠然と思うようになって、自分から留学したいって言ったんですよ。

高校生3年生のときに、初めて留学のことを考えたんですね

そんなグータラな毎日の中でも大好きなサーフィンだけは一生懸命やっていたんです。ある日地元のコンビニで何気なしにサーフィン雑誌を立ち読みしていたら「世界最高峰の波?アメリカ西海岸カリフォルニア」というコーナーを見つけて、そこに載っていた化け物みたいな波に心を打たれて。「こんな波で毎日サーフィンしてみたい!」って思ったのが、留学を決意したきっかけだったのかもしれません。親に『成功する留学』さんに連れてってもらって。でも最初からカリフォルニア州へは行かずに、まずは日本人の少ない静かな州でしっかり綺麗な英語を覚えてから好きな場所へ移ろう、そう思いユタ州の高校に行くことに決めました。

英語はできたんですか?

いや、まったくでしたね。でも、日本での自分に決別してアメリカで再生!って思ってたんで、なんとなく後がないって危機感があったのかな。だから、ハイスクールでは一番前の席に座っていました。

「今に見てろよ」とつぶやく日々

結構ガツガツしてたんですね

そうですね。お経のような呪文のような授業を何度も止めて、もう一度、もう一度って先生を悩ませてましたね。クラスの後に座ってるほかの留学生からは陰口叩かれたり。そのときです、「今に見てろよ!」って思ったのは。高校卒業後は、約1年間現地の語学学校で一から文法を学び直し、ユタ・バレー大学へ進学。しかしここでも日本の高校で遊びほうけていたツケが回ってきたんです。

高校留学中。口癖は「今に見てろよ」

高校留学中。口癖は「今に見てろよ」

日本の高校で遊んでいたツケがアメリカの大学で?

そう、数学や物理といった、日本の高校で履修する科目で大苦戦してしまって・・・・・・当時のスクールアドバイザーに全ての一般教養科目を一番下のクラスから取らなきゃダメだって告げられました。その時はさすがに崩れ落ちました。でも落ち込んでも仕方ないし、何より自分がそれまで怠けていただけで、他の誰のせいでもなかった。気持ちを入れ替えて、もの凄いペースでクラスを受講し、無事に?二年間で一般教養のクラスを終わらせました。それからやっと念願のカリフォルニア州立大学に編入したんです。

念願のカリフォルニアのキャンパスライフまで、ユタ州で約4年

今振り返ればそのユタでの約4年間が実は今の自分の英語力の基礎、勉強の仕方、人とのコミュニケーション能力に一番大きな影響を与えたと思います。そこからビジネス経営学科で有名だったサンディエゴ州立大学へ再編入して。家からキャンパスまで歩いて5分、ビーチまで車で10分というサーフィンやりたかった僕には夢のような環境。更に一緒にハウスシェアをしていた他の3人のルームメイトも自分と同じ学校に通うサーフィン狂(笑)。最高のルームメイトにも恵まれて、高校3年生の時にあの雑誌を読みながら想い描いた念願の『サーフィン&キャンパスライフ』を留学約6年目にしてやっと手にしたんです。サンディエゴ州立大学に約2年半通い、無事ビジネス経営専攻で学位を取得しました。

ストレスで湿疹

アメリカで苦労したことって?

とっても単純でシンプルな事なんですけど、最初、高校留学時代は友達をつくるのに苦労しました。僕は変なところで意地を張ったり、「失敗するのが恥ずかしい」って思っていた。だから最初はなかなか思い切った英語が話せず、縮こまってしまっていたんですね。ただでさえアジア人というだけで少数派としてのハンディがあって、それに加えて変にプライドが高くて自分から心を開かなかった僕を、現地の高校生達はなかなか受け入れられなかったんだと思います。そのうち、自分の態度はプライドとか格好良いわけではなくて、ただ日本の感覚が変に抜けきれていない自意識過剰だって気付いた。格好悪いって。そんなある日、高校のお昼休みに当時流行っていたクラブ系の音楽が流れたんです。僕は、全校生徒が食事をしているカフェテリアのど真ん中で、バック転をしたり、出来もしないブレイクダンスを見よう見まねでやったんです。「もうどうにでもなれ」という感じで。(笑)そしたら次の瞬間一気に人だかりが出来て、みんなが拍手をしたり歓声を上げ始めたんです。何故か日本人なのに「ブルースリー!!ブルースリー!!」って呼ばれて握手を求められて。その時に「あっ、こんなんで良かったんだ・・・・・・」って。格好つけて心を開いていなかったのは彼らじゃなくて自分だったんだ、って、気づいたんです。

社会に出た後の苦労って、違う?

社会に出た今だからこそ言えるのは、学生のときって成績のことだけ気にしていればよくて、同級生は一緒に頑張る仲間、伸びれば賞賛されるって感覚だと思うんです。もちろんそれは最高に素晴しい事であって、日本の教育もこれから絶対もっとそうなっていくべきだと僕は思うんです。でも、今アメリカで社会に出てみて思うのは、それはある意味のどかだったんだなあって。今は競争社会アメリカのど真ん中ニューヨークにいるせいもあって、時折そう感じるときがあります。

競争社会の厳しさを感じた?

そうですね。生活をするために昼夜問わず働いて、そのうえ学校にも籍を置いていたときとかは、生活リズムがめちゃくちゃで、今思えば大変でしたね、過労とストレスで身体全身に湿疹がでましたから。アメリカは超・実力主義な社会で、人種や性別問わず出来る人はすぐに認められます。過程よりも結果を重視する文化なので、別に頑張って残業しようが、休日出勤しようが、上司に良い顔しようが、仕事が出来なければ絶対に認めてくれません。「あいつ仕事は遅いし、数字もなかなか出ないけど、いつも頑張ってるよな!」なんて褒められている人は、見たことがありませんね。頑張るのは当たり前、結果が付いてこなければ、ただの要領の悪い人、という考え方なんです。

ご飯、食べてました?

まぁ、なんとか。ニューヨークに移った最初のころなんか、地下の3畳窓なしの部屋というか、白熱電球が揺れる物置き小屋というか、そういうところでしたからね。いつかアメリカの陽の当たる部屋で……、ただそれだけでした。

今のお住まいは?

ミッドタウンの職場から電車で20分くらいのクイーンズ、アストリアの2LDKをルームメイトとシェアしてます。寝室はそれぞれ12畳リビングは25畳くらいかな。かなり広くて、風そよぎ陽ふりそそぐ、お気に入りの部屋です。週末はアメリカ西海岸留学時代からずっとやってるサーフィン。ニューヨークはサーファー人口が少ないので、ボードを持ってバスに乗ると珍しがってだいたい話しかけられますよ(笑)

ファッション業界へ

サンディエゴ州立大学へ再編入。ルームメイトと友情を築く

サンディエゴ州立大学へ再編入。ルームメイトと友情を築く

サンディエゴ州立大学在学中に、ニューヨークでインターンシップをされたんですね。アメリカでの学生インターンを成功させるのは大変?

それは本当に業界によりけりだと思います。僕はファッション業界以外、例えば金融業界やIT業界には全く精通していないので「アメリカでのインターン」という大きなくくりでの話は出来ないのですが、少なくとも僕の今いるニューヨークのファッション業界では、インターンとして雇ってもらうことは、とても困難な状況です。アメリカ人にとっても、ひいひい言いながらインターンを探す業界です。それを日本人が英語での履歴書、カバーレター作成から電話やメールでのフォローアップをこなして実際に話を実らせるのは、容易な事ではありません。僕がサンディエゴでやったニューヨークのモデルエージェンシーでのインターンの活動の際は、数でいうと約100社ぐらいの会社に送りました。それからメールや電話でのやりとりが何度もあって、返事がなければこちらから電話する。本当に、毎日メールと電話でのやりとりが果てしなく続きましたね。そして、ようやく手にしたアポイントはたったの1社だけ。嬉しかったというか、泣きたくなったというか。

厳しい現実ですね

優しくはないですね。ただ、不可能というわけではない。僕も必死だったので、その1社との面接のためにサンディエゴからニューヨークへ行ったんですね。でもその1社がダメになったら元も子もないし、貴重な飛行機代も無駄になる、そこで現地に着いてからダメもとで「今、ニューヨークにいるから会ってもらえないか?」と、また、アポイントメント以外の会社に直接電話したりもしました。そしたら結果初めは1社だけだった面接も4社まで増えたんです。だから決して不可能なことではないんです。僕自身使えるコネクションはおろか当時ニューヨークに知り合いすら一人もいない状況だったのに、国の反対側にいた日本人留学生の身分で、ニューヨークでのインターンを成功させてますし、僕の友人にもコロラド州やテキサス州からニューヨークにインターンシップで来ていた人が何人もいました。

4社との面接の結果は?

4社のモデル・エージェンシーの面接を受け、プッシュ!プッシュ!とにかく「押し」の姿勢でいったら、結果4社中3社からインターンとして受け入れてもいいと言ってもらえたんです。その3社の中から選んだのがNew York Model Managementだったんです。

三重苦を背負って

応募の段階で、断られても諦めなかった?

不思議と諦めようとは思わなかったですね。「諦めようと思わなかった」というよりも、「まだ何も始まってないから何も止めるものがなかった」だけ、という言い方が正しかったのかも(笑)。何かをやってみて止めるのは諦めかもしれませんが、何もやっていないのに何をどうやめたらいいのか。大学卒業後の就活のときもニューヨークに店を構えているブランド、ショップ、ほぼ全部にレジュメを送りました。ファッション業界って、華やかなイメージだし、特にニューヨークみたいなファッション都市には業界に入りたいって人がすごく多い。それこそ世界中から凄い人や野心を持った人達が集まりますから、本当に狭き門ですし、「とにかくチャンスは自分でつくっていかなきゃ!」って。

反応はどうでしたか?

もちろん基本的に「NO」という断りの返事ばかりでしたよ。断りの返事がもらえるだけまだ良かった。ほとんどは何度連絡をしても返事すら返ってきません。アメリカ人がひいひい言いながら就活している業界で、日本人留学生が何を言ったって反応が良くないのは分かりきった事です。そのうえ、ファッション業界は想像以上に女性が多く、女性的感性や能力が求められている。僕はインターン、男性、外国人という三重苦を背負っての売り込みでした。だから、1回や2回の「NO」ではまず引き下がらなかったですね。「NO」なのは百も承知です、空きが無いのももちろんわかっています、でも「とにかく一度会ってほしい」と強引に押しまくって、「1度会えば、必ずまた会いたくなる人材です」なんて恐れ多くもそんな事を言っていました(笑)。

そのときのインターン先が今の職場?

学生時代にやったモデル会社のインターンシップは夏の短期インターンシップだったんですが、そこへは就職出来なかったんです。出来る事は全てやったんですけど、「人生頑張ってもうまくいかない事がある」そんな当たり前の事を僕に教えてくれた貴重な経験になりました。

留学生あがりのアジア人

Tommy Hilfigerでの実績を足がかりにドルチェ&ガッバーナにて勤務することに

Tommy Hilfigerでの実績を足がかりにドルチェ&ガッバーナにて勤務することに

Tommy Hilfiger時代に入社2ヵ月でセールス売上No.1を達成されたそうですが、何か秘訣は?

「スーツを買いに来たお客様にスーツを売る」っていうのは誰にでも出来る事だと思った。そのお客様はきっと僕がそこにいなくとも、目的通りスーツを買われるでしょう。でもそれでは店員はただのレジ打ちと変わりません。僕は「手袋やマフラーを買いにきたお客様にスーツを売るにはどうしたらいいか」って考えていました。お客様が「その日探している物」ではなくて「普段どんなライフスタイルで何に興味があるのか」を知りたくて会話していました。仕事上カチッとした服装が多いのか、趣味は何なのか、夜はパーティーやイベントが多いのか、普段はラフな格好が多くたまには盛装してお出かけしたいのか。それから、カップルで来られたお客様には女性にコーディネートの提案をする。人は他の誰に言われるより、自分の大切な人に「いいね」と言われるのが一番嬉しいものだから。常にお客様の気持ちになって考え、自分から発言することはあまりなかったですね。ほぼ聞き役でした。だいたい、初めの5分でほとんどが決まります。決して「売ろう」としてはいけないんですね。お客様と自分、お互いにどう気持ち良く会話して、自然に信頼関係を築くかが鍵だったのではないでしょうか。

お店の外でも努力を?

フロアーで売るだけがセールスの仕事ではないという想いがありました。家でもネクタイとシャツのコーディネートの例を勉強したり、スーツの造りを覚えたり、ファッションの歴史を調べたりもしていました。仕事が休みの日には実際に自分で街に買い物へ行き、どこのブランドのどのショップの、どの店員さんのセールスが良いか、それは何故良いのか、それは自分がやって不自然ではないか、自分のスタイルに取り込めるか、なんて事を地道に研究したり。売上を達成する為には、数字の為には出来る事は何でもやるという気持ちでいました。 ただもちろんアンフェアな事はしませんでしたけど。

周りの人たちの反応は?

「留学生あがりのアジア人」っていうことで、ショップに入った当初はあからさまに下に見られてました。、今に見てろよって、ここでもつぶやいてましたね。でも、実績が出てきてからは彼らの見る目が変わってきましたね。競争相手と見なしてもらえたのかな?

Tommy Hilfigerもいい買い物しましたね?

その当時、僕がいたTommy Hilfigerの店には全米からトップのセールス実績持つ敏腕セールスが集まってきていたんです。毎週、毎月、前年実績を大きく上回るからオーナーはホクホクだったでしょうね。そのときのメンバーは今、別のブランドにみんな引き抜かれて、どんどん出世していっています。だから、僕の就労ビザの申請のときには、名の通ったブランドのエグゼクティブやマネージャー、そうそうたるメンバーから推薦状が集まって本当に助けられました。

やはり実力重視の社会

初めは本当に厳しい生活を強いられましたが、結果が出てきてからは生活も徐々に安定していきました。実績が出るとすぐに給料に反映されます。売上上位になったので給料はぐんと上がりましたよ。給料が良くなったから、ご褒美に、ジーンズ2、3本買おうかなぁと、ふらりと立ち寄ったドルチェ&ガッバーナで次の職場へ移る奇跡的な出来事が起きたんです。

巡り逢い

ドルチェ&ガッバーナ勤務時は収入も上がった

ドルチェ&ガッバーナ勤務時は収入も上がった

奇跡的な出来事とは?

その日、ドルチェ&ガッバーナで僕の接客をしてくれたのが、クライアントサービスのマネージャー。こんな人は普段はまず接客の場には出ないんですが、たまたまセレブリティ専属のスタイリストと打ち合わせの予定があった。そして、また、たまたま打ち合わせがキャンセルになったらしく、その日はフロアーにいて、僕の接客をしてくれたんです。彼の接客を受けたとき、「カジュアルブランド」と「ラグジュアリーブランド」の接客の格の違いを目の当たりにしました。本当にスムーズで、綺麗で無駄が無く、接客されていて心地良いんです。知識、立ち居振る舞い、経験、全てに圧倒されたのを今でも覚えています。

そうなんです。しかも驚く事に5th AvenueのTommy Hilfiger本店での僕の評判をたまたま知人から聞いていたみたいなんです。話をしていくうちに「僕、君の事話に聞いた事あるよ」って言われて。そこから僕に興味を持ってくれて、その場で名刺の裏にプライベート用の携帯番号を書いて僕にくれたんです。それから、何回かドルチェ&ガッバーナの人も一緒に僕を夜遊びに誘ってくれたりして。「お前と働いたら楽しそうだな」ってあるとき言われて、彼が直々にドルチェ&ガッバーナの人事に紹介してくれたんです

そしてドルチェ&ガッバーナへ転職したわけですね

はい、それからとんとん拍子で事が進んでいきました。ドルチェ&ガッバーナでの内定が決まる直前に、Tommy Hilfigerからフロアリーダーに昇格、という話ももらっていたんです。でもこれからニューヨークのファッション業界で生き抜いてゆくには、まず箔を付けなくてはいけない、そして一人でも多くこの業界で力を持っている人に会わなければならない、このふたつのポイントを手っ取り早くパスするにはTommy Hilfigerで地位を上げてゆくより、ドルチェ&ガッバーナへ行く方が確実だと思ったんです。

ドルチェ&ガッバーナでは、スムーズに行きました?

いざ入ってみたらそこは恐ろしく厳しい世界でした。同期は元ArmaniのNo.1セールス、年間売り上げ1億5千万クラスのセールスが2人、元GucciのNo.1セールス、元PRADA勤務経験6年、といったそうそうたるセールス揃い。僕はガチガチに縮こまってしまって、それまでの自分らしさを出せなくなってしまったんです。成績も思うように上がらず、せっかく僕に目をかけて紹介してくれたクライアントサービスのマネージャーにも合わせる顔がない、なんて自分を追い込んでいきました。毎日がプレッシャーとの戦いだったのを覚えています。

どのように転換を?

初めは本当に怒られてばかりでした。 ある日考え方を変えたんです。「怒ってもらえるって実は最高に幸せなんだ」って。それだけ僕に期待をしてくれていて、もっともっと良くなってほしいって思ってくれている証拠だろって。だから怒られないように縮こまるのではなくて、少しは怒ってくれている相手の気持ちになって物事を考えてみよう、そして、その人の期待に少しでも答えようって。僕がもし上司だったら部下に何をされたら嬉しいか、楽しいか、上司の立場に立って動くようにした。そしたら徐々に成績も上がっていって、少しずつ周りの同僚からも認めてもらえるようになりました。

1年間働いた結果・・・?

ただやはりセールスのプロのレベルには到底及んでいませんでしたね。本当に毎日が勉強でした。しかし、僕が日本人であるという事にアドバンテージを見出だしてくれていて、約一年間就労した時に「ドルチェ&ガッバーナジャパンに話をしておくからそっちに移ってこことの架け橋になってみないか?」と言ってくれたんです。初めは嬉しくてとても信じられなかった。でも、家に帰ってゆっくり考えてみたらある事に気が付いたんです。僕はニューヨークが大好きで今はまだ離れる気が全く無い。1週間後に上司にジャパンでのお仕事はお断りする旨を伝えました。このままこのニューヨークのお店でやっていきたいと。
でもその時の僕の実力と残した実績では到底ビザのサポートまで視野に入れて雇い続けるまでは至らなかったんですね。本当に悔しい思いをしました。ドルチェ&ガッバーナジャパンへ行くか、辞めるか、という二者択一で辞めることを選んだんです。そして、ニューヨークに残る決意をしました。

雑用インターンから掴んだチャンス

青木さんが働くNY_TWELV MAGAZINE

青木さんが働くNY_TWELV MAGAZINE

仕事を辞めて、ニューヨークに残った。その後・・・?

自分の決断が正しかったのかも、ニューヨークに残るべきだったのかも分からず、しばらくふらふら迷走していました。そんな中たまたま出会ったファッション雑誌が現在の職場、TWELVマガジンです。ニューヨークに本拠地を置くファッションマガジンでニューヨーク、ロサンゼルス、パリ、ミラノ、ロンドン、東京の世界6大ファッション都市で売られています。今はそのニューヨークオフィスでMarketing Supervisorとして働いています。でもここも実は初めは雑用インターンから実らせた仕事でした。自分にラストチャンスだと言い聞かせて「これでしっくりこなかったら日本へ帰ろう」、と決めて必死で頼み込んだんです。そしたら、「雑用インタ—ンとしてなら雇ってもいい」と言われたんです。最初は撮影のための設営とか小物セッティングとか、洋服のピックアップのお手伝いといったアシスタント業務兼雑用だったんですけど、ある日撮影現場で何気なしにクライアントと話をしていたら、僕の立ち居振る舞いというか、人との接し方みたいなところに今の編集長が目をつけてくださった。「広告部門が弱いから、セールス経験があるならやってみるか?」と、ありがたいオファーを頂いたんです。そこからまた少しずつ結果を出していって、「今度は自分のチームをつくってみろ」と言われ、僕が面接をして5人を雇い、広告部門の一つのチームのリーダーにしてもらったんです。

真摯な努力が認められたんでしょうね

部下は5人のアメリカ人女性。ファッション業界って女性が多くて、男性だったとしてもゲイ人口が高い世界です。結構インパクトある人たちが多いんです(笑)仕事をしていて、女性の方が、変化に瞬時に対応して、いろんなことを同時にこなしていく能力に長けているように感じますね。

今後のお仕事の計画などは?

今の職場は、立ち上がったばかりのベンチャー的な社風なので、良いアイディアは直ぐに取り入れてくれます。現在ニューヨークの有名私立ファッションスクールParsons the New School of Designと提携している日本の某大手ファッションスクールの生徒さんをTWELVマガジンでインターンとして受け入れ、「留学」「グローバルファッション」「就職」を繋いだ、有能でやる気のある日本人を世界のファッションビジネスへ送り出すという、これまでになかったグローバルパイプラインの確立にも積極的に力を入れています。2013年9月には記念すべき「グローバルファッションインターン一期生」として約10名の生徒さんをニューヨークオフィスで受け入れ、世界のファッション業界で生き抜いてゆく為の徹底した教育の提供と、実際のマガジンの制作に携わらせることで生徒にはグローバルレベルで戦える強い心と底力を、学校にはマガジンでの広告スペースを提供し、全てのパーティーが最大限の利益を見込めるプログラムのプロトタイプを実際に開始する予定です。

カウンセラーから一言 泥まみれで半狂乱になって努力した、そんなそぶりはあまり見せないけど、諦めずにずっとやってきたその証が孝輔さんの横顔から溢れる笑顔に凝縮されています。渡米10年目を迎える今、「モデルエージェンシーの会社を設立する」というあのころの夢に向かってさらにギアを入れ替える孝輔さんです。

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