日本の各地には江戸時代の城下町が基礎となって発展して都市が点在しています。外からの侵入者を防ぐために石垣や濠で囲んだ区画に町割りが築かれたのです。フィリピンの首都マニラにもこれに似通ったエリアがあります。パッシグ川がマニラ湾に注ぎこむ河口付近は要塞で囲まれるイントラムロスは、アジアの島でありながら中世ヨーロッパの面影を漂わせているのです。 壁の内側を意味するイントラムロスは大航海時代の16世紀、アジアに進出したスペイン人によって建設された要塞都市です。ロペス・デ・レガスピが初代のフィリピン総督に就任すると同時に、綿密な都市計画が立てられ1606年前後に完成しました。 どのような強力な武器をもって迫っても壊されることのないように作り上げた町でしたが、度重なる地震や第二次世界大戦の戦火による被害から免れることはありませんでした。その中で唯一、創建当初の姿で残っているのが、ルナ通りとレアル通りの交差点に建つサン・オウガスチン教会です。フィリピンでは最も古い石造建築の教会です。ダークグレイの石壁の内部はバロック風の内装が施され、聖堂の中央には豪華なシャンデリアが吊るされています。1993年にフィリピンのバロック様式教会群として世界遺産に登録されました。 サン・オウガスチン教会からルナ通りを約200メートル北に向かうと、ロマネスク・スタイルのマニラ大聖堂が建っています。第二次世界大戦のときに破壊されましたが、1958年に再建されました。屋根のドームとベル・タワーはイントラムロスのどこからでも見ることができます。聖堂の中には4500本ものパイプを備え、アジアでは最大級のオランダ製のオルガンが設置されています。 サン・オウガスチン教会やマニラ大聖堂の他にも、イントラムロスには12の教会が建てられていました。また大学や病院など生活に欠かせない施設が区画の揃っていたのです。市民の生活の場は、分厚い堅固な壁で取り囲まれました。外壁の随所に砦や砲台が設け侵略者に備えたのです。ヴィクトリア通りが遮られる東端には砲塁があります。数十メートル間隔で巨大な大砲が外に向かって並びます。反対側の西端には稜堡バルアルテ・デ・サン・ディエゴが造営されました。イントラムロスの施設の中でも最も古い堡塁は、古代ローマの建築を思わせます。また、数キロにわたって築かれた防塁には、第二次世界大戦の日米の激しい戦闘の際に日本軍が放った銃弾の痕跡が生々しく残っています。 要塞都市の北端はパッシグ川に面し、川岸にマニラの防衛に最も大きな役割を果たしたサンチャゴ要塞が築かれました。堅固な防塁と川に囲まれる広大な敷地内は、現在は緑豊かな公園となっています。園内のホセ・リサールの記念館では、19世紀末からのフィリピンの独立運動の歴史が貴重な展示物とともに紹介されています。 東西約700メートル前後、南北1キロあまりのエリアは徒歩で巡り歩くこともできますが、馬車のカレッサや自転車にサイドカーをつけたペディキャップなどを利用すると効率的になるばかりでなく、またとない旅情に浸ることができるでしょう。 【データ】施設名:サン・オウガスチン教会 San Agustin Church住所:Gen. Luna St. Cor Real St. Intramuros, ManilaTel:(02)527-4061開館時間:8:00〜12:00,13:00〜18:00 (美術館)休み:無休施設名:マニラ大聖堂 Manila Cathedral住所:Cabildo cor. Beaterio Sts., Intramuros, ManilaTel:(02)527-3093URL:http://manilacathedral.ph/開館時間:6:30〜17:30休み:無休施設名:サンチャゴ要塞 Fort Santiago住所:Gen. Luna St. Intramuros, ManilaTel:(02)527-2961開館時間:8:00〜18:00休み:無休 大林 等メーカ勤務の出張とプライベート旅行で渡航した国の数は49になります。各国での 異文化体験は数知れません。カルチャーショックを起爆剤に、各国の歴史や文化に 深く切り込むスタンスを崩すことなく持ち続けています。観光情報から社会、習 慣、宗教、グルメ、アート、民族芸能まで、ジャンルの垣根を超えた海外での経験 を、各種の雑誌やWebサイトなどで発信し続けています。Facebook: