
日本人の主食は米です。全国各地で地域の気候を活かしたブランド米が栽培されています。国内で毎年、十分な収穫が得られるため、輸入米を口にすることはまずありません。ところが、梅雨前線が長期にわたって日本列島に停滞した1993年は、市場から国産米が姿を消し輸入米に頼らざるをえなくなりました。ヴェトナムと米の輸出高の世界一を競い合うタイから大量に米が輸入されました。日本を含めアジア地域は米の生産高が国の富みを計るバロメータとされています。タイ北部の古都には、「スコータイは美しい国、水に魚棲み、田に稲穂実る」と記された碑文が残されています。


バンコクから北に約440キロメートルのスコータイに、タイ族にとって最初の王朝が1238年に開かれました。第3代王のラームカムヘーンの時代には、広大な領土を治める大国に発展しました。商業の自由を認め商人に税金を課すことはなく、住民のトラブルにも王自身が耳を傾け、直接判決を下す伝統が築かれました。仏教の普及にも力を注ぎ、周辺には数多くの寺院が建立されました。


東西約1.8キロ、南北約1.6キロにわたるスコータイの古都は、三重の城壁で囲まれ遺跡公園として整備されています。公園の中心にはタイ王国の礎を築いたラームカムヘーン大王が、右手に経典をもって王座にどっかりと腰を下ろしています。強大な王国を築いた王の生涯が描かれるレリーフの中には、温かい手を市民にさしのべる姿もあります。


大王のブロンズ像の南にスコータイ王朝の王室寺院であったワット・マハータートが、ギリシャの神殿のような景観をしています。西、南、北の三方を堀で囲まれた約200メートル四方の境内には、209 基の塔、10 の聖堂、蓮のつぼみを象った巨大な仏塔のチェディなどが立ち並んでします。東側には2 列の柱の奥に座る巨大な仏像は穏やかな表情をしています。


ワット・マハータートの南西約350メートルのところに残るワット・シー・サワイは、スコータイ以前のクメール時代にヒンドゥー教の寺院として創建されました。後に仏教寺院となりましたが、ロッブリー様式の3 基のプラートが極めて特徴的です。

公園の敷地内は遺跡を熱帯の樹木が覆っていますが、各所に掘られた池が涼を感じさせてくれます。大王碑の西側に広がる池が最大のものです。この池に浮かぶ小島にも仏教寺院のワット・スラ・シーが建立されています。スリランカから伝わった建築様式で作られた釣鐘型の仏塔には安定感が漲っています。


遺跡公園内には大小200を超える遺跡が残されていますが、スコータイ最古の寺院は城壁の北約500メートルにあるワット・プラ・パーイ・ルアンです。12世紀末のクメール王ジャヤヴァルマン7世の時代に創建されたと伝わります。スコータイ王朝時代に盛んに作られた坐像、立像、臥像、遊行像の四体仏が塔堂のモンドップに祀られていました。風雨などによる損傷が激しいのですが、逆にスコータイの歴史を感じることができます。

スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町は、1991年にユネスコに世界遺産に登録されました。
<スコータイへのアクセス>
バンコク→ピッサヌローク(飛行機)約1時間:、ピッサヌローク→スコータイ(バス):約1時間